「梅雨で増水した川を下る」なんて 今は現実問題として、まず無理でしょうけれども それでも印象深い記憶、見た景色を ありありと思い出させる句だと思います。
曽良随行日記の記述では、この句が詠まれたのは、元禄2年 1689年 5月29日 新暦7月15日 、大石田での止宿先の船問屋を営む高野一栄宅においてですが、そのときには「五月雨をあつめてすずし最上川」でした。
・いつもはきれいな流れの金堀川は、五月雨で茶色く濁って水かさが増し、フナなどの魚の影は見えなくなった。
季語は「紫陽花」です。 やはり辞書で確認してみましょう。 月不見月(つきふみづき)=梅雨のため月が見られないから• 基本的には、その 最初の発句を「挨拶句」と言い、それを受けて付ける短句七・七を 「脇句」と称します。
8ちなみに旧暦の夏は4~6月にあたり、このうち5月が梅雨の時期に該当しています。
とてもスケールの大きな句で、『おくのほそ道』に掲載されている俳句の中でも名句とされています。
蕪村の本業は画家ですので、やはりそういう資質があふれた句になった、という見方もできるかも。 ですが、江戸前期、神と仏は一体で、角を突き合わせるような状況ではなかった。 一茶はか弱いものや小さなものに優しい視点を当てた俳人として有名ですね。
8一方、蕪村は川の岸辺から、川と二軒の家を眺めています。
転じて梅雨の雨のようにダラダラと続く様子を表すようになりました。
松尾芭蕉のそのほかの俳句 (「奥の細道」結びの地 出典:). (以上については、鈴木正崇著「山岳信仰ー日本文化の根底を探る」中公新書を参照していただきたい。 関連記事(一部広告含む). 呂丸が芭蕉の言葉をまとめた「聞書七日草(ききがきなぬかぐさ)」(元禄2年7月5日)では、芭蕉はあたためていた「不易流行」の理念を初めて口にしたとされている。 速し?早し? 川の流れがはやいは 「早い」じゃなくて「速い」では? ・時刻が「早い」 ・スピードが「速い」 こうですよね。
18ただし、2番にあるように 俳句等では夏の季語として扱われます。
体言止めを使用することで、 句にリズムが生まれ、俳句がより印象的なものになります。
ですから、 これは夏の季語というワケ! ココを間違えると、意味の分からない解釈をしてしまうので要注意! 「暑い7月に、梅雨を集めたような、最上川からくる風がとても涼しい」 といった意味。 さみだれ。
5あと、この句を詠んだ状況も、かなりすごいものなので そのあたりについても述べていきます。
この経験を経て、おそらくですが、 「風が涼しい~なんて、そんな悠長な川ではない! なんという流れの早さだッ!」 というような、感情の変化があったのでしょうね。
門人曽良を伴い、江戸を出発し、東北・北陸を巡り岐阜県大垣へ至る2400㎞、161日間の旅を紀行文として完成させたものだが、その中で最上川を詠んだ、これらの句はあまりにも有名。
8言わずと知れた、松尾芭蕉の句です。
句意は「(ようやく夕方になったが、)暑い一日を海に流し入れてしまった最上川(その河口のあたりから涼しい夕風が吹いてきた)」。
梅雨晴れや 蜩(ひぐらし)鳴くと 書く日記 (正岡子規) 正岡子規の句で、季語は「蜩」です。
スポンサードリンク ふたつの「最上川」を意味する、松尾芭蕉の有名な俳句その3 「 五月雨をあつめて早し最上川」 (意味: 五月雨を集めてきたように流れが早いなぁ、最上川は) こちらも『おくのほそ道』の旅で詠まれた句です。
梅雨の雨さえもその身に取り込んで、ごうごうと流れていく最上川の力強い姿が目に浮かんできます。