10倍の国力を持つ国相手に、2倍に満たない戦艦の量で認めさせたんですから。 「浦波」が参加した主な作戦は、、(主力部隊護衛)、()、、、、()。 雷:12年12月9日~11日、21日、13年1月2日~4日、26日~27日、2月14日~17日、3月21日~22日 ・艦橋と機銃両方に確認できる艦 朝霧は、「特型の防弾板」で紹介した写真で、艦橋と機銃座の両方に防弾板を装着していることが確認できますが、 夕霧は艦橋と機銃座両方を同時に装着していることを確認できていません。
209-10『…職員ノ不撓ノ消火作業ト潮ノ決死的横付消火作業奏功火勢鎮マリタルヲ以テ翌朝ノ出撃ヲ考慮霞ハ先行帰投スルコトトセルモ第四次輸送出撃延期トナリタルヲ以テ再度曙潮ノ附近ニ至リ之ヲ警戒6日未明「マニラ」港着曙ハ天明後浅所ニ曳航擱座セシム』• 60頁『特型駆逐艦朝潮型 大潮・霰の艦影図』• 電の参加した大きな作戦は次のようなものがあります。
Ref. II - あけぼの 竣工1931年7月31日(藤永田造船所) 1944年11月13日、にて空襲を受け大破着底、放棄された。
4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日 海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ 第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫 第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』• 20-21『12日潮駆逐艦長 宛略 機密第12725番電 一. 南東部の ()で仮泊、ここでパラオ隊(鬼怒、時雨、五月雨)と分離する。 『日本駆逐艦史』世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集 増刊第34集 、海人社、1992年。 カテゴリー. - みゆき 竣工1929年6月29日() 1934年6月29日 南方沖で演習中、電が艦中央部に衝突した。
51925年(大正14年)の改訂で、計画速力は38ノットに落とされたのです。
1931年(昭和6年)11月14日に竣工。
浦波生存者のうち少なくとも35名がにおける陸上兵力に転用された。 仮組 パーツ同士の整合や塗装の手順を考えながら仮組を行います。 Ref. (昭和7年)12月1日、江戸兵太郎中佐(浦波駆逐艦長)は姉妹艦の艦長へ転任。
48月以降のでは、への輸送任務()に従事している。
Blair,Jr, Clay 1975. C08030569700『昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌 2 』。
11月8日から9日にかけて、第四次作戦(指揮官木村一水戦司令官:警戒隊《霞、、潮、、、》、海防艦4隻、輸送船3隻)に参加。
こちらも短期間で解隊。
浦波に収容された後に死亡した者も含めて戦死者は42名であった。 午後8時、姉妹艦「吹雪」(艦長中佐)が航行中に突如操舵不能となり、「浦波」(艦長久宗米次郎中佐)の右舷に衝突する。 (防衛省防衛研究所)• (1942年(昭和17年)7月30日:薄雲修理完了、北方部隊〔〕に編入。
6Ref. Ref. 1933年(昭和8年)12月11日:横須賀警備戦隊。
11月に入って護衛任務に戻り、12月には陸軍部隊をトラックからまで輸送。
途中、輸送隊の掩護・哨戒をおこなっていたがB-24と交戦して不時着、電は搭乗員8名を救助した。
大戦最初期の喪失艦となったのは「」らとともにで喪われた「」である。
ワシントン海軍軍縮条約で、駆逐艦名が枯渇する心配がなくなったのを受け、1928(昭和3)年8月1日付で、第三十五号は、吹雪と改められたわけです。 「潮」「漣」と「大和」搭載のは爆雷攻撃を実施、敵潜より再度の襲撃を受けることはなかった。 II - うしお/うしほ 竣工1931年11月14日(浦賀船渠) 終戦まで生き残る。
9主隊(鳥海)、支援隊(熊野、鈴谷)、東部ニューギニア方面護衛隊(天龍)、ウェワク攻略部隊(、夕雲、風雲、)、マダン攻略部隊(荒潮、涼風、電、磯波、、)、母艦航空隊(隼鷹、、、、他駆逐艦1)という兵力部署が決定。
280頁『天霧 あまぎり 』• 東雲は第二十駆逐隊(I)に転出。
しかしこの話は当時の第七駆逐隊司令部付通信士の事実誤認の可能性が高く、珊瑚海海戦での「翔鶴」の乗員の証言や記録等と照合すると、『荒れた海面状況で殆ど速度の出ない「潮」を、「翔鶴」が最高速(34ノット)で追い越した。
7を搭載し、を装備。
Ref. ・による性能改善工事により、艦橋の小型化、魚雷発射管位置の変更等、事件の前後で最も艦容が変わった特型駆逐艦である。 1937,1940年版』海軍研究社、1937年2月。
姉妹艦「漣」は空母「」直衛艦として行動し、さらに第六戦隊(司令官少将)の重巡4隻(、、、)と共にMO攻略部隊主隊を編制しており、「潮」「曙」とは別行動である。
この10隻のみ12. II - いそなみ 「 第四十三号駆逐艦」として竣工1928年6月30日(浦賀船渠) 1928年8月1日、 磯波と改名 1943年4月9日、プートン水道 でアメリカ潜水艦の雷撃で撃沈される。