2009年に徳島の課題解決型のコンテスト、徳島活性化コンテストを徳島県と共催したことをきっかけにまちづくり活動に携わるようになり、2010年に帰郷。
派閥の長・石破氏を総理大臣にするべく一枚岩にならなければならないときに、福山氏はなぜ同士討ちの道を選んだのか。
6 防災意識がどこよりも高いまち、徳島 ハード面もさることながらソフト面での意識を高める事業を行います。
1 対話のできるまち、徳島 徳島市は県庁所在地として、県内市町村や県との連携をして決めなくてはいけないことがたくさんあります。
強いリーダーシップで県政運営にあたり、県民からの人気も圧倒的だからだ。
党本部が間に入って調整するものではなく、あくまで石破派の問題だ」と突き放した。
しかし、水面下での戦いは激しさを増していた。 サクラが満開となった徳島市では、穏やかな春の日和となった。 その後も地元の鉄工会社役員や県社会教育委員などを務め、徳島大工学部に再入学するなど病と闘いながらも幅広い分野で活躍している。
9年間120万人もの集客がある巨大イベントなのに、毎年のように赤字。
鉄工所を営んでいるわ。
(15年)文科三類に入学したが、文科一類を受験し直し、第3類(政治コース)卒業。
また、発災時の要配慮者やペットの避難のシミュレーションも積極的に行い、災害に備えます。
3月上旬のある日の午後、自民党本部での会議に出席したあと、4階にある二階幹事長の部屋に入ったのだ。
徳島市で開かれた自民党徳島県連会長の山口俊一のパーティーに、福山の姿があった。